日本の歴史から学ぶ、日本人の精神性

日本近代史から国防を考える!武士道精神の復活を願う

日本近代史

加納聖士です。

昨年話題になった中国のサンゴ狩り、韓国の竹島のコンクリ国旗、ロシアの空軍機の領空侵犯など、隣国からは驚異が止まりません。

竹島

日米安保条約が締結されてから50年以上が経ち、いつしか日米安保は空気のような存在になっています。

しかし中国が軍事力、なかんずく海軍力を大幅に増強、北朝鮮からは核ミサイル発射の危険性も現実のものとなり、国を守ることを国民一人ひとりが真剣に考えなければならない時代を迎えています。

そこで今回は日本近代史から日本の国防について考え、俯瞰的な視点から私の見解を述べてみたいと思います。

軍隊アレルギー

軍隊というと、もうそれだけでアレルギー反応を起こす人が多いようです。

学校教育やマスコミなどを通じて、70年もの間、そう反応するよう、心を〝しつけられて“しまっているからでしょうか?

しかし世界のほとんどの国は、今もごくあたりまえに軍隊をもっていますし、どの国の国民も、国を守るために命がけの仕事をしている軍人に対しては敬意を払っています。

それが“国際標準”なので、今の日本の方が“ふつうではない”のです!

戦争は外交の延長線上にある

それでは軍隊の仕事とは何でしょうか?

この問いに対して、明治維新最大の功労者であり、また日本史上でも屈指の「英雄」「豪傑」と呼ばれた西郷隆盛はこう答えています。

「軍隊とは平時において外国と交際してく上でも、有事において敵国からの侵略を防ぐ上でも、軍隊というのは必要である」。

「有事において敵国から侵略を防ぐ上」で軍隊が必要なのはわかると思いますが、なぜ「平時において外国と交際していく上」でも、軍隊が必要なのでしょうか?

じつは戦争とは、そもそも“外交の延長線上”にあるものだからです。

そもそも人と人の間の対立は、ない方がいいに決まっています。
けれども、残念なことに古今東西それがなくなる気配がありません。

もっとも、現在は人と人の場合は「裁判」という方法によって、それを平和に解決できます。
けれども、国と国の対立を裁いてくれる裁判所は、まだどこにもないのです。

それでは、もしもある国とある国が深刻な対立に陥ったとしたらどうなるでしょうか?

まずは、どちらの国も、外交という“話し合い”の手段で、なんとかして対立を解決しようとするでしょう。

けれども、その手段では、どうにもできない事態になってしまったら、どうすればいいのでしょうか?

両国の“話し合い”でまとまらず、そのままでは、どちらか一方の国が地球上から“消滅”してしまうかもしれないというような深刻な事態を想定してください。

そうなったら、どちらか一方の国が無抵抗のまま消滅するか、あるいは、残念ながら一方の国がもう一方の国に「宣戦布告」をして、戦争で決着をつけるか、そのどちらかを選ぶしか道はありません。

これが、戦争は“外交の延長線上”にあるといわれるゆえんなのです。

戦争そのものを非合法とする国際法は存在しない

過去も現在も、戦争そのものを非合法とする国際法は存在しません。

戦争そのものは、国際法上「違法行為」ではないからです。

そのかわり、戦争がはじまったら、両国には「戦時国際法」が適用されます。
それにしたがっているかぎり、戦争は“合法”ですが、いくら戦争中であるといっても「戦時国際法」に違反する行為は、“違法”になります。

東京大空襲

ちなみに民間人の虐殺は「戦時国際法」に違反する行為で、これをもっとも大規模、かつ露骨に行ったのが、アメリカの原爆投下です。

終戦後30年間、戦い続けた男

話が少し脇道にそれますが、戦争終結から29年目にしてフィリピン・ルバング島から帰還を果たした小野田寛郎さんが、負けたはずの日本の経済的繁栄に驚くと同時に、自分と戦後日本人との精神的な隔絶が決定的なものであると語りました。

小田さん

それは帰国直後に広島を訪れた小野田さんは、慰霊碑に刻まれた「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」という文言の主語が誰なのか、この文面をいぶかしく思ったからです。

29年間戦い続けた小野田さんがひとり置き去りにされていたのだということが如実に伝わってくるエピソードです。

先ほども述べましたが、「戦時国際法」によりますと民間人の虐殺は完全な違反行為なのです。

民間人の虐殺は広島・長崎の原爆投下のほかに、日本本土空襲は1945年8月15日の終戦当日まで続き、全国で200以上の都市が被災し、死傷者数は各説がありますが100万人とも言われています。

こんなに罪のない同胞が100万人命を落としたのに、戦後教育を受けてきた私たちは「 過ちは繰返しませぬから」の主語は日本人なのです。

広島

これに関連する記事はこちら
なぜ日本のことを好きになれない日本人が多いのか?

話を戻しますが、このように外交というのは、これまでも(たぶん、これからも)、軍事力の背景をもっていて、はじめて成立するものなのです。

ですから、ふつうの国の外交官は、戦争という“最後の切り札”を出さずにすむように、必死で外国との“話し合い”にあたるのです。

軍隊力=外交力のいう図式

軍事力=外交力という話をします。

1853年、ペリーが率いるアメリカ東インド艦隊の軍艦4隻が最初の寄港地、那覇をあとにして浦賀沖の姿を見せました。
江戸幕府だけでなく、市民をも震撼させたあの黒船の来航です。

あの時は、平和的な話し合いによって日米和親条約として締結され、その後1858年には、自由貿易や領事裁判権(治外法権)・協定関税制などを含んだ日米修好通商条約へと締結しました。

問題なのは、日本はアメリカに、この条約で治外法権を認めてしまったことです。

治外法権とは、アメリカ人が日本で犯罪を犯しても日本では裁くことができない法律です。
また、関税自主権を持たないという、無茶苦茶な約束も結ばされました。

彼ら欧米列強からすると、一方的な有利な条約となり、日本からするとこれら条約は日本が自主的に改正することができない不平等条約なのです。

もし仮に、当時の日本の軍事力がアメリカと対等なら、このような不平等条約は結ばれたでしょうか?

この治外法権の改正に40年、関税自主権の改正には50年かかりようやくの思いでアメリカと対等になったのです。

この10年の間に日本の日露戦争での大勝利があったわけですから、やはり軍事力=外交力という図式は無視できません。

高杉晋作の見た中国の悲惨な姿

このような不平等条約の締結は欧米列強にとって一方的に利益を吸いとる植民地化の第一歩です。

16世紀から20世紀にかけて、アジア・アフリカなどの有色人種の住む地域のほとんどは、欧米の植民地にされてしまいました。
具体的に述べますと、有色人種の完全な主権国家は、全世界で日本、トルコ、タイ、エチオピアの4国です。

世界地図

さらに20世紀のはじめになると、なんと地球の陸地の89%が欧米の国々によって支配される、というありさまです。

こんな話をしますと、「植民地にされたって、奴隷にされたって、幸せに暮らせばそれでいいじゃないか」などという方がいます。
それは欧米の「植民地」にされるということが、どれだけ悲惨なことであるか知らないからです。

たとえば1862年から約2ヶ月間、高杉晋作は上海に滞在しました。
上海で見た光景は、晋作を愕然とさせることになります。

そこには、アヘン戦争に負けた影響で、欧米の植民地のようになってしまった悲惨な中国の姿がありました。

晋作が見たのは「外白渡橋(外国人がただで渡れる橋)」という木橋です。
橋名の入った大きなプレートを見ていると、この4文字に当時の中国人たちの屈辱がにじみ出ていました。

橋をわたる度に英国人に通行料を支払う中国人。
他国の武力で自国の内乱を鎮圧しようとする弱体化した政府。

清国のそんな現状に、晋作は、このままでは日本は中国と同じ運命をたどってしまうとの思いにかりたてられました。
それから、わずか4年足らずの間に高杉晋作が幕末史に与えた影響ははかりしれません。

もし、上海に行かなければ、高杉晋作の生涯は、そして、日本の歴史も、もっと違ったものになっていたかも知れないのです。

欧米と日本の植民地の違い

欧米と日本の植民地支配について、もう少し詳しく述べておきます。

オランダがインドネシアに行った植民地政策は、愚民政策・貧民政策でした。

そのため貧困にあえぐインドネシア人の平均寿命は、35歳にまで低下したと言われています。
ちなみに植民地時代のインドネシア原住民とオランダ人の所得比は、1:13000だったと言われています。

そうやってオランダの奴隷下に置かれていたのです。

そんな欧米諸国ですが、過去の植民地支配を謝罪している国はありますか?

では日本の植民地支配(日本の場合は統治といいますが)を見てみます。

一番統治期間の長かったのは台湾の50年、朝鮮半島の35年です。
この2カ国が現在、先進国として発展を遂げたのは偶然でしょうか?

日本の統治の特徴は、日本の内地からの税金により台湾や朝鮮半島に学校や病院、そしてダムを作ったことです。
現地の言語を一つにして、教育したのです。

それも今と違い、日本が貧しかったころの話です。

韓国

もし朝鮮半島が日本ではなく、中国やロシアからの植民地支配を受けていたらどうなっていたでしょうか?

台湾の真下に位置するフィリピンが、今でも貧しい国であることは語るまでもありません。

西郷隆盛と庄内藩士の交流

『南洲翁遺訓(なんしゅうおういくん)』という一冊の書籍があります。

これは西郷隆盛に心服していた旧庄内藩士たちが、西郷から直接聞いた教訓等を一冊の本にしてまとめ、刊行したものです。

庄内藩と言えば、鳥羽・伏見の戦いのキッカケともなった江戸の薩摩藩邸の焼き討ちをおこなった主力藩であり、戊辰戦争でも執拗果敢に薩長をふくむ新政府軍に抵抗した藩です。

庄内藩は、攻め寄せてきた新政府軍と戦い、やがて降伏します。1868年のことです。

事情が事情ですから、庄内藩の人々は、どれほど厳しい降伏条件を突きつけられるかと心配でなりませんでしたが、意外にも、新政府軍の参謀である薩摩藩の黒田清隆からは、驚くほど優しく、ゆるやかな降伏条件が示されます。

そして黒田は、藩主の上座に座って、いちおうの“言い渡し”を終えると、ただちに藩主の下座にまわり、「役目のために、ご無礼をいたしましたが、お許しください」と、じつに礼儀正しい態度です。

しかも、そのあとの態度や言葉にも、少しも勝ちにおごって、威張ったところが見えません。
まことに武士道をわきまえた立派な態度でした。
庄内藩の人々は、いたく心を動かされます。

西郷隆盛

明治2年、庄内藩を代表して菅実秀が東京に出てきて、庄内藩に対する寛大な処置に対して、黒田にお礼を言います。

すると黒田は、「あれは私の処置ではありません。すべて西郷先生の指示でやったことです」と、言うではありませんか。

しかも、その「西郷先生」という人は、新政府軍の指揮官でありながら、庄内藩が降伏した翌日には、庄内から出ていこうとしていたそうです。

戦争では、相手が降伏したばかりのころは、油断してはなりません。
すぐに反乱が起こる可能性があるからです。

ですから、ふつうの指揮官なら、しばらくの間、そこに止まって、反乱が起こらないか、目を光らせるものです。
ところが、黒田は、こう言いました。

「庄内から、すぐに帰ろうとされた時、私たちは西郷先生を止めました。けれども西郷先生は、『戦いは勝てば、もうそれでいいよ。あとは、同じ日本人。新しい日本をつくる同士じゃないか。もう敵でも味方でもないよ』と、おっしゃったのです」

この話を聞いて、菅は、“この世に、そんなにすばらしい武士がいるのか”と感動し、はじめて西郷隆盛の名前を知るのです。
それから、庄内藩の人々と西郷隆盛の、不思議な交流がはじまるのです。

西郷隆盛の戦い方は、長州との戦いの時も、幕府との戦いの時も、武士道の観点から見てベスト、あるいはベターな戦い方でした。
おそらく、その西郷隆盛の戦い方のおかげで、明治維新の犠牲者数は、他国の「革命」と比べて、きわめて少なくすんだのです。

その西郷隆盛でも、「軍隊とは平時において外国と交際してく上でも、有事において敵国からの侵略を防ぐ上でも、軍隊というのは必要だ」と言っているのです。

幕末、当代一の洋学者といわれた佐久間象山

現実的にみて、ここ10年、20年で世界から軍隊を なくすのは難しいと思います。
なぜなら世界中が一斉に、同時に軍隊や核を無くさねばならないからです。

では日本はどうしていけばいいのでしょうか?

私の見解を述べてみます!!
その答えは幕末、当代一の洋学者といわれた佐久間象山にあると思うのです。

彼は吉田松陰・勝海舟・坂本龍馬の師にあたる偉大な人物です。

佐久間象山

「儒学」と「洋学」を学んだ象山の結論は、「東洋の道徳、西洋の技術」ということでした。
つまり東洋の「儒学」を政治の支柱として、西洋の進歩した「技術」を取り入れていくべきだという考えを示したのです。

そのため象山は兵法を学ばせるときは、必ず道徳も一緒に学ばせました。
その理由は、「兵法は凶器になるから」です。

この「凶器」を「仁義の技」にしていくには、道徳に精通した人間でなければ使いこなすことができない、と考えたのです。

すなわち、兵法を学び、また武術が上達して、優れた能力を発揮しても、道徳・倫理観が欠如していたなら、単なる暴れん坊になってしまうということです。

そう考えると自衛隊を強化し、同時に道徳教育に力を入れていくことだと思います。

まとめ

最後に、吉田松陰の和歌にこのようなものがあります。

「そなえとは、艦と砲との、いいならず、わが敷島の、やまと魂」

歌の意味はこうです。

「国防のための備えというのは、根本的には、軍艦や大砲などの装備の問題なのではない。日本人に、断固として自国を守ろうとする精神があるのかどうか、ということが問題なのである」

私が思うに先の大戦で、わが国は“精神を重視しすぎた”などという批判があります。
もちろんエキセントリックな、あるいはエステリックな“精神”は問題外です。

しかし、国民の健全な国防精神そのものは、今も昔も国防の基礎ですから、いくら重視してもしすぎることはありません。

すべての“装備”は、その基礎の上に立って、はじめて意味をもつものだからです。

そういう意味では、憲法9条は維持しながら自衛隊はより一層強化し、専守防衛を守りながら、同時に国民の健全な国防精神(愛国心の醸成)を早急に復活させることではないでしょうか。

そして西郷隆盛がやったように高い軍事力を有しても可能なかぎり戦いを避け、どうしても回避することができなかった場合は最小限の被害で済むよう武士道精神を磨き高めていくことが肝要だと思います。

世界から愛される日本であり続けられるようにより一層高い倫理観が必要とされるでしょう。

私も経営者や経営コンサルとして、倫理観を高めどう道徳教育を絡めていけるか考えてみます。

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