日本の歴史から学ぶ、日本人の精神性

日本はなぜ、経済一流、外交三流と言われるのか?

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加納聖士です。

「経済一流、外交三流」といわれる日本の外交。
日本の国際的発言権は誰の目からみても弱いのは確かです。

なぜ、日本の外交力は弱いのでしょうか?
これもGHQの占領下から始まっています。

今回はこのあたりの私の見解を述べていきたいと思います。

外務省は日本外交の「要」である

GHQはその占領下において、日本外交の「要」の外務省を廃止するつもりでした。

なぜなら日本国家の外交権を剥奪するのが彼らの目的だったからです。

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一方、彼らの内部では「反日・親中派」VS.「知日派」の図式がありました。
知日派とは、日本の社会・文化などに対して、深い理解と言動を行う外国人を指す言葉です。

占領下において日本に対して厳しい姿勢で接してきたGHQ外交局の中に、民政局と同様、日本側から「共産主義の巣窟」だと言われるほど「反日・親中派」が占めていた時期がありました。

「外務省の廃止処分」は最終的にはなくなったものの、この両派の対立により、外交方針の混乱しました。そしてこの戦いは、現在まで続く米国の対日外交方針となったのです。

大使館・領事館の財産を含め大事な公文書まで剥奪される

昭和20年10月25日、GHQが発令した「SCAPIN-189」によって、日本の在外公館や領事館は全面的に閉鎖されることになりました。
そして彼らは大使館・領事館の財産だけでなく大事な公文書まで奪ってしまったのです。

これは「外交特権」の剥奪です。

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同年11月4日の「SCAPIN-237」では、日本政府とすべての外国(中立国)び政府代表との直接の接触が禁止され、文字通り手足を縛られました。

その一方で、日本国内における連合国側の財産や安全は、日本政府がすべて責任を負うように命令されました。
これが占領下に置かれた日本政府の立場なのです。

昭和25年から始まったアカ狩り(共産党狩り)とは?

第二次世界大戦後の世界情勢は、社会主義陣営と資本主義陣営といがみ合いとなりました。
この対立の最初の主な要因は朝鮮半島で勃発した「朝鮮戦争」からでした。

その当時米国では「共産党員」や、「国際コミンテルン」らの、旧ソ連の「思想工作員」が隆盛を極めていた時代です。

このため米国国内では反共産主義に基づく社会運動や、政治的運動=「共産党狩り」(アカ狩り)が発生して、これが日本にも影響を及ぼしました。
この時期マッカーサーは、1万人以上の共産党員の職を追放しています。

詳しくはこちらのプログに書いています。
日本の常識は世界の非常識!戦後の日本はこうやって作られた!
http://kanouseiji.com/security-3/

いずれにしろ、当時のGHQには、占領期の最初から「反日分子」が入り込み、「知日派」と共に日本との外交交渉を当たっていたのは事実です。

「迎合外交」こそ、いわば日本の戦後外交のスタート

占領初期の重要な時期に日本政府が出した法令は、日本人よりもむしろ、米国人の心理に合わせて作られたものでした。

このGHQへの「迎合外交」こそ、いわば日本の戦後外交のスタートなのです。
その後、日本は「補償外交一辺倒」となりました。

当初は、ソ連など連合国の一部は、日本から賠償金を取り立てる要求をGHQ側に提出していましたが、GHQの方針は「戦後補償」のかたちで占領後の日本に捻出させることにしました。

中国(及び台湾)やインドは対日賠償を放棄しましたが、昭和29年のビルマに始まって、昭和42年のモンゴルまで合計28ヶ国との平和条約終結後に行われた約1兆円に及ぶ対外支払いの「戦後補償外交」は、日本外交にとってかなりの重荷でした。

日本の「自虐史観外交」はここから始まった

占領下、GHQの教育により、日本は普遍的に受け入れられている「民主主義」や「人権」や「自由」についてさえ、対外的に明確に語ってはならないとされていました。

つまり、戦後の日本の外交は、長らく欧米の価値観である「民主主義」、「自由主義」、「人権主義」ですら、堂々と海外に打ち出せなかったのです。

これは、戦前の日本は、「軍国主義」かつ「侵略国家」であり、「人権」もなかった国であったために戦後の日本は「謝罪と反省」をし続けるしかない、という歴史観に立ったものです。
ここに日本の「自虐史観外交」が始まったのです。

戦後の日本の外交は、相手国の攻勢が強まったとき、ただひたすら低姿勢に徹するか、相手に迎合する外交しかできなくなったのはこのためです。

捏造された「南京大虐殺」と「従軍慰安婦」問題

日本国内には、「安倍総理がタカ派だから、諸外国に批判されるのだ」という向きがありますが、これは論理的に正しくありません。

なぜなら昭和50年前半まで米中韓を含めた諸外国は、思想や歴史観を問わず、日本の総理大臣が靖国神社に参拝しても何も抗議してきませんでした。

この問題の背景にあるのは、あくまで日本が中国や韓国に対して、積極的な発言を始めたとたんに起きる「外交問題」なのです。

ここ数年の日本外交は、世界に向けて「価値観外交」「積極的平和主義」という外交目標を掲げました。

安倍政権が長期化しそうなこともあり、あたかも日本が自信を取り戻し、「自立外交」を回復したかのように彼らには映っているのです。

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その矢先に展開されたのが、中国が「南京大虐殺」をユネスコ記念遺産へ申請や、韓国の「従軍慰安婦碑」を利用した日本批判は、国際世論を巻き込んだ「広報戦」や「情報戦」でもあるのです。

日本外交に立ちはだかるのは「戦勝国ルール」

外交において不可欠な「広報戦」や「情報戦」でも、日本は外国プロパガンダに対して何も手を打たず、積極的に自己主張を行わない戦後日本外交スタイルのままです。
これでは国際的に自国が有利に展開できる「当然の外交」を行使できるはずはありません。

日本政府が「平和主義」と「国際協調」を訴えても、どうしても日本外交に立ちはだかるのは、「戦勝国ルール」なのです。

第二次世界大戦後の暗黙のルールであるその特徴は、「敗北国」が「戦勝国」に対しては歴史観の修正は許されず、また「勝利国」から「敗北国」が「いじめ」と「差別」を受けるという点にあります。

とりわけ日本国家に対して、弱体化させようとする「戦後レジーム」が、今もなお、国際外交上も存在しています。
「戦後レジーム」とは第二次世界大戦後に出来上がった世界の秩序体制のことです。
ヤルタ・ポツダム体制(YP体制)とも呼ばれています。

戦後の日本の磯を作った吉田茂の方針

戦後の日本の政治家の筆頭はやはり、容貌や葉巻の好み、ワンマンぶりで「和製チャーチル」とうたわれた吉田茂だと思います。

吉田の外交方針は、戦後日本は経済力のみに重点を置き、マッカーサーから持ちかけられました「再軍備計画」を一度は断るなど、警察予備隊(後の自衛隊)を含む警察力以外の武力を米国に負けせる「吉田ドクトリン」というものです。

あくまで日本は、将来も「経済復興」と「軽武装国家」に務めるべき、という最初のGHQの指示に近い立場をとり、その路線が戦後の基調となって現在まで続いているのです。

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政治思想的にも「吉田学校の生徒」であった佐藤栄作や池田勇人らを「保守本流」として育て、その後彼らが行った戦後日本外交史を見ると、常に米国あるいは中国という大国との関係をとりわけ重視していたのがわかります。

いずれにせよ、吉田茂が「保守」であったか否かは別としても、「吉田派」の日本政治・外交方針は「対米追従型」であったのは間違いでしょう。

戦後、日本は経済外交に頼らざるを得なかった

GHQが植え込んだ日本の「外交システム」の影響下では、その突破口を見つけようとすると、「経済外交」に頼らざるを得ませんでした。

その経済一辺倒の戦後外交の後遺症が、いまも超大国・中国に対して続けられる「ODA外交」です。

いまの中国を途上国とは呼べませんが、とにかく中国に対しては、外交戦術の一つの強力な手段がODAであり、日本はこれ以外の「外交カード」が少ない何よりもの証拠です。

つまり日本外交における「戦後レジーム」とは、外国にただひたすら迎合しなければならない外交を余儀なくされてきた歴史なのです。

これまで日本政府が、北朝鮮による拉致問題に対して傍観したり、中国から尖閣諸島問題に介入されたりしたように、外国から国家主権を侵害される行為を起こされても、外務省は強い抗議を行えなかったのはこのためなのです。

米国外交がよく使う分断支配とは?

いま、日本の対外的な外交方針は「国連中心主義派」、「対米追従派」と「親中・韓派」、「戦後レジームからの脱却派」の3つの路線が、国内で対立平行して進んでいます。

たとえば平成25年12月に安倍総理が靖国神社に参拝した後、米国大使館から「失望した」という声明が初めて発表されました。

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これは米国外交がよく使う「デバイド・アンド・ルール」(分断支配)という手法なのです。

つまり、東西冷戦下の日本とソ連、日本と北朝鮮というように、国と国、あるいは国内の地域と地域を分断して支配するやり方をとっているのです。

米国国務省の影響を受けたGHQも、日本人をあえて「軍国主義者」と「平和主義者」とする「分断支配」を行い、現在でもその後遺症を残している地域が沖縄なのです。
沖縄は、米陸軍部隊のマッカーサー率いるGHQと、米陸軍のマッカーサーと仲の悪かった米海軍のポール・ニミッツ将軍を沖縄軍政府に立て対立させました。

この「デバイド・アンド・ルール」の手法は、支配する側にとっては極めて有効ですが、支配される側にとっては深刻な対立を生みやすいのです。
沖縄県が長期間、日本本土と対立してきた原因は、米国内の「軍同士の対立」という要因が強いのです。

米国が中国を抑えきれなくなっている現実を直視する

強大な力が背景にあれば相手にとって有効な米国の「分断支配」は、いまや効力が落ちつつあります。

とりわけ最近「世界の警察」の座を降りかけている米国のオバマ政権は、急速に効力を失い、台頭する中国への対応に困惑し始めました。
だからこそ、米国はあのタイミングで日本の総理大臣の靖国参拝に対して「失望した」という声明を出したのです。

そもそも中国は、日本の総理大臣が靖国神社を参拝しなくても、外交・軍事的には常に日本を刺激していることは誰がみてもわかります。

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その中国が、「日本が中国を刺激するな」と主張するのは外交的な矛盾があります。

つまり、米国側は世界を抑える超越した力を持っていた戦後とは違い、「中国」を抑えきれなくなっている現実を直視して、われわれ日本人は冷徹に国際情勢を捉えるべきなのです。

まとめ

戦後日本人は、戦後GHQのために「精神的な捕囚状態」を強いられてきました。

日本および日本人は、「敗戦国だから何をいわれても仕方がない」と外国にいわれるまま謝罪と反省をし、今後まったく反論や自らの主張をしない方がいいのでしょうか?

それ以前に戦前の日本は、本当に「軍国主義」かつ「侵略国家」であり、「人権」もなかった国だったのでしょうか?

詳しくはこちらのプログに書いています。
歴史を忘れた民族は滅びる!日本人なら知っておきたい日米開戦史
http://kanouseiji.com/warfare/

「慰安婦問題」などに対して、いま毅然と対応しなければ、韓国による「従軍慰安婦碑」は、アメリカ本土だけでなく、中国、豪州、カナダ、台湾に続々と建設されていきます。

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そしてその国に住む日本人たちは誇りを失い、国家間の競争で未来永劫、相手国から避難され続けることでしょう。

そうなれば、将来の孫やその子供たちもまた、永遠に外国で虐げられてしまう事実を、国内に住む日本人全体が知るべきです。

日本の外交力を強くするためには、真の意味でのこの国自体の自立が必要なのです。

今回は北朝鮮の水爆実験発表後とあり、ややキツめな口調になりましたが、もう待ったなしの土俵際まで追い詰められています。
70年続いた「戦後レジーム」から1日も早く日本を脱却させましょう!

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