日本の歴史から学ぶ、日本人の精神性

神風特別攻撃隊を偲ぶ、祖国日本の精神文化とは?

特攻隊員

加納聖士です。

特攻とは大東亜戦争の末期、日本軍が採用した作戦です。
日本の敗北を目の前にした日本軍は、航空機、爆弾、燃料の不足から、人間そのものを爆弾(ミサイル)として敵国の艦艇に撃墜させるという、隊員の100%の死を前提とした攻撃でした。

戦術的に見ても戦略的に見ても実施すべきではなかった特攻作戦です。
それは誰が見ても明らかでしたが、祖国の危機を救うため、ただひたすら勝利を信じて死んでいった若者がいたことも事実です。

特攻

愛する人々と日本の将来、つまり今を生きる私たちために命を捧げてくださった勇敢な隊員の方々に深く感謝するとともに、心よりご冥福をお祈り致します。

人は自分の死生観について深く考えたとき生き方が変わると言います。

私自身も経営コンサルタントとして、起業家を支援して日本を少しでも良くしていきたいと思ったのもこの特攻隊員の想いを知ってからです。
(私の想いはこちら)
著者の自己紹介

ですから今回はこの特攻隊に学ぶ、祖国日本の精神文化について私の見解を述べていきたいと思います。

特攻隊員が訴えたかったこと

歴戦の戦闘機パイロットで、飛行時間4000時間を超えていた田形竹尾さん(元特攻隊・飛行教官)という元日本兵がいます。

田形さんはこう述べています。
陸海軍航空特攻4,615名の「特攻隊員」が、「後を頼む」と言って、自分大切な生命にかえて日本人と人類に訴えたものは4つです。

▼ 祖国日本が美しい国であって欲しい
▼ 世界から尊敬される立派な国であってもらいたい
▼ 日本が戦争を放棄しても、自衛心がなければ戦争は日本を放棄しない
▼ 人類が戦争を滅ぼさねば、戦争が人類を滅ぼすであろう

田形さんは大東亜戦争で長く特攻隊員を戦地へ送り出す教官を勤め、ご自身も終戦日の一日前に特攻命令を受け、出撃せずに生き残った方です。

日本への遺書

私はこの田形さんの著書『日本への遺書』(日新報道)を読み、これらのことを知ったとき涙が止まりませんでした。

特攻隊寄宿舎に勤務されていた婦人の手紙

この本の中に、特攻隊寄宿舎に勤務されていた婦人が、亡くなられた特攻隊員のご遺族にあてた手紙が紹介されています。
当時の特攻隊員と特攻隊宿舎勤務の婦人の想いが見事に伝わってくる手紙だったので紹介します。

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この日は突入に成功し、辻少尉、今野少尉、白石少尉、稲葉少尉らは、ついに帰ってこなかった・・・。
親しくつきあった、基地の特攻隊宿舎勤務の婦人より、辻少尉の消息が父母の許に知らされた。

以下に引用します。

若葉茂る新緑の候となりました。

皆々様には、お元気にてお暮らしのお事と推察致します。

私は、ふとしたご縁により、ご子息俊作様とお知り合いとなり、今度、俊作様、特攻隊として出撃遊ばされる時、最後の事を頼まれたのでございます。

俊作様が、特攻隊として屏東(台湾南部)から当地花連港に前進していらっしゃって、お泊りになるところに、私は勤めております。兵站宿舎でございます。

その時は、辻少尉殿って、どういうお方なのか、名簿のみで存じ上げませんでしたけれど、第一回出撃をなさって、2、3日過ぎたある日、事務所にお見えになり、色々とお話などしているとき、沖縄へ航進中、航空帽の上からしめている、日の丸の鉢巻を海に落した、とおっしゃりますので、では私が作って差し上げましょうと、心をこめて作って差し上げたのが、ご懇意にしていただく初めでございました。

その日、私の家の方に遊びにいらしていただきました。
私にも丁度、俊作様と同い年頃の弟がやはり、航空兵として入隊していますので、実の弟のような気が致し、及ばずながら母上様に代わって、できるだけのお世話をさせていただきました。

特攻隊の皆様方は、魂の純粋な方ばかりで、今日、明日死んで行かれる人とは思われない、朗らかな方ばかりで、暗い顔の表情をした特攻隊員の方には、一人もお目にかかった事はありません。
どうして同じ人間が、しかも若い青年の方が、あのようにニコニコの笑顔で、聖人も及ばない、偉大な心境で死んで行けるのか、不思議に思うくらいでした。
本当に、男らしい、ほれぼれするような方ばかりでありました。

皆さん方は、心のやさしい、親思い、兄弟姉妹思いの方ばかりでありました。
「魂がきれいで、心が温かい」から「祖国」のためにと、大切な生命を捧げ、特攻隊に志願して、ニッコリ笑って出撃され、勇敢に死んでゆかれたのだという事をわからせていただきました。

私は、多くの特攻隊員の方をお世話させていただき、『祖国に殉ずる』、『他のために尽くす』このような清純な魂の青年の方から学ばせて頂いたのは、私の宝であります。

特攻隊の方々は、後に続く青年を信じておられました。
それは、「自分たちは戦争で死んでゆくが、平和になったら生き残った青年が、世界から尊敬される、立派な、平和国家日本を再建してくれる」と信じて、安心して死んでゆかれたと思います。

私は、「平和日本」「文化日本」の再建こそ、この、「理性と、知性と、勇気」を持たれた特攻隊の青年の方々に、生きてもらわねばならないと、惜しみと、悲しみの涙で一杯でございます。

この偉大な、すばらしい男性を育てられたのは、歴史と伝統につちかわれた、「日本精神」の心を持つ「日本の母」の皆さま方、「母上様」方と、心から敬意をささげます。

私は、特攻隊の方々のお世話をさせていただき、悲しい、淋しい思いもさせていただきましたが、気がついてみると、「祖国に殉ずる」「他のために尽くす」「犠牲的奉仕の精神」の尊さ、すばらしさを学ばせていただきました。これは私の「宝」です。
一人でも多くの方々に語りつぎたいと思っています。

初めてお出でになった時、母と二人で、うどんを作って差し上げました。
とても喜ばれ、「自分の好物はうどんだ。屏東にいる時、兵隊を買いにやったが、どこにもなかった。花連港にきて、うどんを食べられようとは、夢のようだ。これで満足して死んで行ける」と、それはそれは、とてもお喜びになりまして、その時は丼に三杯も召し上がりになりました。

私たち家族一同は、こんなに喜んでいただけるとは思っていませんでしたので、本当にうれしゅうございました。

「美枝さん、辻少尉の最後の頼みがあるんだ。おれの戦死が確定したら、内地に知らせてくれ。好きなうどんを腹一杯食べて、喜んでゆった事を、なあ。最後に気になるのは、親のことなんだ。おれの最後を知らせてやったら、どんなに喜ぶかも知れない」と、しんみりした口調でおっしゃりました。

「ええ、必ずお母さんにお知らせしますよ。その事は決して心配なく、後々の事はきっと引き受けますから安心して下さい」と申し上げると、ほろりと涙を流され、にっこり笑って、「これで思い残す事はない。安心して死ねる」と、大変喜んでいただきました。

何時間の後には「靖国の神」となられる、最後の頼みをどんな事があっても、果たして差し上げたい。
安心して征かせたい、というのが、私の気持でありました。

本日(5月17日)午後5時離陸、永遠に帰らぬ攻撃に征かれました。
今尚、にこにこ笑いながら、宿舎を出てゆかれたお姿が浮かんで参ります。

体当たり攻撃の時間は、『午後7時40分から、8時までの間』
その時間に見事体当たりを成功するようにと、妹と二人で神社にお参りして祈らせていただきました。

今朝(18日)出勤して、戦果をお伺いしましたところ、見事、輸送船に体当たりされた由、今更ながら、俊作様の面影をしのんでいます。

戦果確認の目的で、一緒にゆかれた中尉のお話では、編隊長として、見事な編隊を指揮され、終始、ニコニコされ、最後には、お互いに翼を振って別れ、従容として輸送船に突入してゆかれた、との事であります。

軍刀と、軍帽は、特攻隊の遺品係に渡してあります。
同封の手紙は、最後(17日)にお書きになった、俊作様の絶筆であります。

大切な事を忘れていました。
体当たりの時間は、5月17日19時35分だそうです。
つきぬ思い出を、長々と書かせていただきました。

では、皆さま方お元気でお暮らし下さるよう、はるか台湾の果てより、皆さま方の幸福をお祈りして、ペンをおきます。

昭和20年5月18日
台湾花連港市営盤通18
「湯橋 美枝」

「祖国に殉ずる」「他のために尽くす」「犠牲的奉仕の精神」の尊さ、死を前にしても最後に気にしたのは両親のこと。

それを立派に送り出した特攻隊宿舎勤務の婦人。

70年前の日本の若者は、自分たちは戦争で死んでいくが、平和になったら生き残った私たち日本人が、「世界から尊敬される、立派な、平和国家日本を再建してくれると信じて、安心して死んでいったかこと」を考えると、ただただ恥ずかしいばかりです。

世間では特攻隊員は、軍国主義に洗脳された可哀想な人たちだったなどという人がいますが、特攻隊員たちの遺書を読みますと誤解だとわかります。

特攻3

人間の命は何より大事です!!
この何より大事なこの命を捧げる行為がこの世の中にあるということを、特攻の勇士達は教えてくれました。
日本の若者は実に敢然とこれをやってのけていたのです。

特攻の行為の本質は自己中心的な生き方を越えて、他を生かすということにあります。
日本は他のどこよりも自利をこえて、他を生かす利他の心が強く生きてきた国なのです。
ただただ感動でした。

死んだ友に背くような生き方をするものは、男子ではない

『南洲翁遺訓』を読んで、私がとくに心打たれるのは、西郷隆盛が、「戦没者に対しても、私は・・・本当に申しわけなくて・・・」と、しきりに涙している場面です。

おそらく、目の前で、西郷隆盛が泣き出す姿を見て、聞き取りをしていた庄内藩の人々も、粛然とエリを正される思いであったにちがいありません。
(西郷隆盛の記事はこちら)
日本の国防について歴史的観点から俯瞰する

考えてみれば、わが国の歴史上の“偉人”と呼ばれる人で、「戦没者」を粗末にあつかうような人は、あるいは、今は亡き家族、恩人、同志、友人などを、粗末にあつかうような人は、ほとんどいません。

そのことについて、吉田松陰もこう言っています。

死んだ友に背くような生き方をするものは、男子ではない

“死者に恥じない生き方をしなければ・・・”というのは、何も吉田松陰や西郷隆盛にかぎった意識ではありません。

じつは、今も昔も、すべてのよき日本人の心の底に強くある意識なのではないでしょうか。
今は亡き人々の“目”を意識して生きるということが、きっと日本人の道徳心の基盤になっているのでしょう。

逆に言えば、わが国の歴史上の“偉人”たちは、その道徳的な基盤が人並みすぐれて堅固であったからこそ、長い歳月を経た今も、わが国の人々から慕われつづけているのかもしれません。

「後を頼む」という遺志に応えていく

最後に田形竹尾氏は特攻について以下のように述べています。

ほとんどの戦友が大空で散っていく時は、必ず戦友に翼を振ってお別れしていきました。

もう、死の直前ですから、火災を起こして火だるまになって落ちていく、あるいは敵弾を受けて墜落していく、あるいは突入していく、そういう最後の瞬間。

しかし、やはり意識ははっきりしていますので、翼を振って別れていった。
それはただ翼を振って別れたんじゃなくて、「後を頼む」という、言葉ではない大きな意味が含まれていることを、生き残った私たちひとり、ひとりが感じて、戦後50年経った今も脳裏から消え去らない。

この魂にしっかり、焼き付いていますから、それが消えない限り、「後を頼む」という遺志に応えていく、それが生き残った私たちの使命であると、今日まで考えてきました。
それが生きる勇気にも闘志にもなったわけです。

特攻隊員たちの精神が生き続けられれば、たとえ祖国が敗れたとしても、国は決して滅びません。

戦争で負けることは、もはや自明だったのです。

しかし負けても、日本人さえしっかりしていれば、国は必ず立ち直ると信じていたのです。
だからこそ「後は頼む」と彼らは、生き残った日本と日本人を信じたのです。

特攻2

今を生きる私たちは、日本の英霊のためにも
▼ 祖国日本が美しい国にすること
▼ 世界から尊敬される立派な国にすること
▼ 自衛心を大事にすること
▼ 戦争を撲滅すること

これら遺志を引き継いていかねばなりません。

これが特攻隊に学ぶ、祖国日本の精神文化なのです。

最後に今日の記事がお役にたったら、よろしかったらシェアしてください。
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